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親子関係 インナーチャイルド アダルトチルドレンなど、悩み相談。浜松市の 心理カウンセリング サロン コリトル 。 その他人間関係,仕事,夫婦,離婚,不倫,恋愛,依存,不安,絶望,対人恐怖,生きづらい,死にたいなど。お悩みを解決したい時、誰かに話を聞いてもらいたい時に。

 

昨日、今日と、春のように温かなこちら浜松です。

桜が咲く日も近そうですね。

(^_^)

 

さて、前回までに、

 

・「お金があればシアワセになれる」と、
ボクは、豊かさもシアワセもお金に依存させていた。

・娘は病気になったり事件や事故を起こして、
ボクを経済的に精神的に窮地に追い込んだ。

・そして、ボクは「この危機的な状況は、
フツウの方法では解決できない」と考えるようになり、
スピリチュアル・ヨガ・瞑想・量子力学などの本を読みあさり、
フツウじゃないものに救いを求めるようになった。

・そんなある日、「ある言葉」に出会い、涙がとまらなくなった。

 

などと書かせていただいたのですが、

 

 

子どもは、自分の身を挺してでも … 。  
 
 
 
親子関係,インナーチャイルド,アダルトチルドレン,悩み,相談,カウンセラー
 
 
 
その「ある言葉」とは、
 
本田健さんの本「ユダヤ人大富豪の教え(3)」
 
の中にあった、こんな言葉です。
 
 
【すべての子どもは、
 
自分の身を挺してでも、 両親を助けようとする。】
 
 
 
ボクは、その言葉を読んだときに、
 
涙が止まらなくなってしまいました。
 
 
次の日も、その言葉を読むと、涙が止まらなくなり、
 
そのまた次の日も、その言葉を読むと涙が止まらなくなるという、
 
不思議な3日間を過ごしました。
 
 
 
 
アタマでは理解できない  
 
 
 
しかし、ボクのアタマでは、
 
「すべての子どもは、自分の身を挺してでも両親を助けようとする」
 
という言葉は、論理的にも感情的にも理解できない、
 
受け入れがたい言葉でした。
 
 
 
しかし、涙がボロボロとあふれて止まらなくなるのだから、
 
その言葉を受け入れざるを得ません。        
 
 
 
 
そうだったんだ … 。    
 
 
 
そして、
 
「そうだったんだ…。」と、 心の中でつぶやくと、
 
また、涙がボロボロと落ちこぼれる…。
 
 
 
そんな3日間でした。
 
(^_^;)
 
 
 
結果的に、その《気づき》ゆえに、
 
ボクの人生は、ガラッと変わることになるのですが、
 
それは、ボクのアタマでは理解できない、
 
常識や論理というものから、逸脱した《内容》でした。          
 
 
 
 
お釈迦さまのサトリと同じ?      
 
 
たぶん、それは、
 
 
アルキメデスが、お風呂のお湯があふれるのを見て、体積に気づいたり、
 
ニュートンが、リンゴが木から落ちるのを見て、重力を悟ったり、
 
ガリレオが、星の動きをみて、地球が動いていることに気づいたり、
 
アインシュタインが、屋根から落ちる人を見て、相対性理論を悟ったり、
 
お釈迦様が、難行苦行の末に乳粥を食べて、無をサトったのと同じように、
 
 
当時の常識や理屈から逸脱していた《内容》 … 。
 
ではないかもしれませんが、
 
(^_^;)
 
 
 
ほんの、ほんのちょこっとだけ、
 
似ている部分があるのではないかと、
 
ボクは勝手にそう思っております。 (^_^;)        
 
 
 
 
ボクのライフワーク      
 
 
なので、この
 
【すべての子どもは、自分の身を挺してでも、両親を助けようとする】 を、
 
一人でも多くの人に伝えることが、
 
ボクの「人生の目的・使命・ライフワーク」なのかなあと思って、
 
今、こうして、そのことを書かせていただいています。 
 
 
 
なんちゃって…。
 
(^_^;)
 
 
 
なんだか、落ち(オチ)が着いちゃったかもしれませんが、
 
【すべての子どもは、自分の身を挺してでも、両親を助けようとする。】 について、
 
もう少し詳しくお伝えしたいので、
 
よかったら引き続き、次回もお付き合いくださいね。
 
 
 

< 人生も、シアワセもお金に依存して(お金,依存,社蓄,奴隷,親子関係の悩みへのヒント) >

 
前回までに、
 
・ボクは、「子ども」という現実的な豊かさから目をそむけ、
 「お金がなくなったら、どうしよう?」という
 漠然とした不安や恐怖心にばかり目を向けていた。
 
・そんなボクは、まるで自分の命をお金に売った「お金の奴隷」だった。
 
・そして「ボクが首をつって、その保険金で家族に生活してもらうのが、
 自分にとっても家族にとっても一番良いのかもしれないなぁ」
 などと考えていた。
 
 
などと書かせていただきました。
 
 
 
       

ノルマに追われる毎日  

 
 
 
 
その頃、ボクは、営業をやっていましたので、  
 
なおさら「お金」に意識が向いていたのかもしれません。
 
 
 
1ヵ月の売り上げ目標(ノルマ)を
 
達成できるかどうかに悪戦苦闘する毎日でした。
 
 
 
達成できなければ、評価が下がり、お給料も下がる。
 
だから、家に帰っても仕事のことを考え、
 
残業してでも、休日出勤してでも、
 
1ヵ月の目標を達成しなければなりませんでした。 
 
 
 
そして、何とか、1ヵ月の目標を達成して、
 
「はあ〜。やれやれぇ〜。 (~_~;) 」と思うのも束の間、
 
その時には、もう、すでに新しい一ヶ月が始まり、
 
新しい月間目標に向かって、ゼロからのスタート。
 
 
 
なので、気の休まる暇がありませんでした。
 
 
 
しかも、市場競争は激しくなり、
 
売り上げを伸ばすのは難しくなる一方。
 
 
 
そんなお金に追われる毎日でしたので、
 
子どもと過ごす時間を心から楽しんだり、
 
思い出に浸ったりして、
 
子どもの存在をかけがえのないものと感じる、
 
余裕がなかったのかもしれません。
 
(´・_・`)
 
 
 
         

人生をお金に捧げ、お金にひれ伏すボク  

 
 
 
そんなボクは、ただ、ひたすらに、
 
家族や老後の「お金」のために、
 
自分の体力と精神力を捧げていたのだと思います。
 
 
 
つまり「お金」に自分の「人生」を捧げ、
 
「お金」にひれ伏して生きていた
 
言っても過言ではないと思います。
 
(´・_・`)      
 
 
 
 

稼ぎの悪いダメなパパ    

 
 
 
また「その時のボクの気持ちは」というと、
 
「稼ぎの悪いダメなパパで申し訳ないなあ。
 
これでは、娘は、シアワセじゃないよなあ。」
 
と、自分を責めボクの子どもとして生まれてきた娘を、
 
「不幸」な娘と決め付けて嘆いていました
 
(´・_・`)      
 
 
 
 

お金にシアワセを依存させていたボク      

 
 
 
ボクは、自分のシアワセも、娘のシアワセも、
 
すべて、お金によって決まるというくらいに、
 
お金にシアワセを依存させていました。
 
 
 
 
お金があれば、ボクも娘もシアワセになれるのに…。
 
でもお金がないから、ボクも娘も不幸だと…。
 
(´・_・`)
 
 
 
 
結局、ボクは、
 
【豊かさ】も、【人生】も、【シアワセ】も、
 
すべて、お金に依存していました
 
 
 
 
そして、娘は、そんなボクに追い討ちをかけるかのように、
 
病気になり、事件や事故を起こして、
 
ボクを経済的・精神的に、窮地へと追い込みます……。
 
 
 
 
また、暗いことを書いちゃってすみません。
 
(´・_・`)
 
 
 
次回は、少し明るいことを書けると思いますので、  
 
よかったら、引き続き、お付き合いくださいね。
 

< お金,社蓄,奴隷,親子関係の悩みへのヒント  -  浜松市の心理カウンセリングサロン "コリトル”  -  >

前回まで、

・ボクの娘は、父親が自分を可愛そうに思って、
 自分の安心・安全を捨て、嫌われるリスクを冒して
 「ふうせん欲しい!」と泣き叫んだ。

・子どもは、自分の身の危険を冒(おか)してでも
 父親の自立を助けようとする。

・でも、そんな考え方は、フツウの考え方じゃない。

・ボクが、そんなフツウじゃない考え方を持つようになった、
 最初のきっかけは、娘が生まれる時のことだった。

・妻が帝王切開を拒み、母子共に体力の限界が来た時、
 婦人科の先生が、ボクに赤ちゃんの心音を聞かせてくれた。

・その心音は「わたし生きたい!」「わたし愛したい!」と、
 とても力強く情熱的にボクに訴えていた。

・ただ、娘のその声ならぬ声だけで、
 ボクの考え方がフツウじゃなくなったわけではない。

・その時のボクは、まだ「娘は、自分の安心・安全を捨てて、
 嫌われるリスクも冒して『ふうせん欲しい!』と泣き叫ぶ」という
 変わった考えかたを持っていなかった。 

などと、お伝えいたしました。 

 

 

娘が生まれてからの「豊か」な生活 

 
 
娘が生まれて、ボクはパパになりました。
 
そして、「愛したい!」という声ならぬ声を発してくれた、
 
尊い生命「子ども」を持つことになりました。
 
 
だから、 当然、 ボクは「豊か」になりました
 
 
が、しかし、
 
(´・_・`)
 
 
それなのに…。
(´・_・`)
 
 
ボクは、その「豊か」さを感じることができていませんでした。
 
情けないことなのですが…。
 
(。-_-。)
 
 
それどころか、反対に「出費が増えてしまう」という、
 
漠然とした不安「貧しさ」を感じていました。
 
 
「ボクに、この子を養っていけるのだろうか?」
 
「それだけの経済力が、ボクにあるのだろうか?」
 
「この子の教育費・学費等の経済的負担をボクが背負い切れるのだろうか?」
 
と。
 
 
 
        

お金がなくなったら、どうしよう? 

 
 
 
  今となっては、
 
「子どもはかけがえのない存在。
 
存在そのものが癒やし・安心・豊かさ・シアワセの源(みなもと)。
 
だから、それに比べれば、お金の価値はたいしたものではない。
 
もちろん、お金も貴重で大切だけど、
 
子どもの存在、子どもと過ごす時間や思い出は、
 
お金には替えられない、 お金では買うことができない、
 
豊かさとシアワセをもたらすもの。」
 
 
と、素直に思えるのですが、
 
当時のボクは、つねに「お金」のことを心配していました。    
 
 
 
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 目の前にある子どもという現実から目をそむけ 

 
 
 
ボクの心のどこかに、常に、
 
 
「お金がなくなったら、どうしよう?」
 
 
という漠然とした不安や恐怖心を抱え、
 
その不安や恐怖心から逃げるために、
 
ボクは生き、仕事をしていたのだと思います。
 
 
 
つまり、
 
「目の前にある子どもという現実的な豊かさ」から目をそむけ、
 
「お金がなくなったら、どうしよう?」という、
 
「非現実的な不安や恐怖心」にばかり、目を向けて生きていました。       
 
 
 
 
 

 お金がなくなることは死であり、人生の終わり      

 
 
 
それは、ある意味、子どもを養っていくという、
 
正義感・義務感・使命感・責任感の現れであり、
 
悪いことではないはずです。
 
 
 
しかし、当時のボクは、
 
「お金がなくなったら、どうしよう?」 という漠然とした不安から、
 
「お金がなくなること = 死んでしまうこと」とか、
 
「お金がなること = 人生の終わり」という恐怖心を抱くようになり、
 
「お金のために生きる」ようになっていました
 
 
 
つまり、ボクは、
 
自分の生命をお金に明け渡してしまった、 「お金の奴隷」でした。       
 
 
 
 
 

  お金の不安と恐怖から逃げる方法      

 
 
 
そして、
 
「お金を稼げなくなったら、首をつるしかないなぁ。」
 
(´・_・`)
 
「その保険金で、家族に生活してもらえれば、
 
それが一番、楽かもしれないなぁ。」
 
(´・_・`)
 
などということをよく思っていました。
 
 
 
たぶん、お金の不安や恐怖心から逃げる方法が、
 
他に見当たらなかったから……。
 
(-_-;)
 
 
 
なんだか、暗いことを書いちゃってすみません。 
 
 
 
また、次回に続けたいと思いますので、
 
よかったら、また、お付き合いくださいね。