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こんにちは

0次元カウンセラーのぶさんです!

いつも、お世話になり、ありがとうございます。

( はじめましてのかたは、こちら。 )    

 

寒いですねぇ~。

浜松も急に気温が下がって、冷たい雨が降っています。

(´・_・`)

 

東京では雪が降るとか、

北海道ではマイナス30度になるとかと、

聞いておりますが、そちらは、大丈夫でしょうか?

 

前回、

 

・娘は、ボクが自分を制限・抑圧して可愛そうに思えたから、

   「自立して、自分のやりたいことをやって!」と言いたくなった。

 

・そして、娘は自分の「安心・安全」を捨てて、

   嫌われるリスクも冒して「ふうせん欲しい!」と泣き叫んだ。

 

とボクは書いていますが、これはフツツじゃないですよね?

 

フツウは、

・娘は、単純に、風船が欲しかっただけ。

・子どもが親のことを考えて、「ふうせん欲しい!」なんて言わない。

ですよね?  

 

でも、実際、ボクは娘に譲歩して、風船を買うことで、

ケチが過ぎたことに気づき、

  「1,000円は高い!」から「1,000円は安い!」というお金持ちマインドに変わった。

 

だから、何かしら、子どもが決心してリスクを冒して、

  「フウセン欲しい!」みたいなことを言ったときは、  

親への愛情と信じて受け止めて、

子どもに譲歩してみていただけないでしょうか?

 

なぜなら子どもは、

『親に感謝されること』で『最高のシアワセ』を感じるから…。

 

など、とお伝えしたのですが、

今日は、ボクが、

こんな「フツウじゃない考えかた」をするようになった きっかけを、

お話ししたいと思います。  

 

 

赤ちゃんの心音が弱くなっている
 
 
 
     
 
 
それは、娘が生まれる時のことでした。
 
娘の出産は、大変な難産。
 
 
陣痛が始まって、もう10時間が過ぎたというのに、
 
赤ちゃん(娘)がお腹の中から出てきません。
 
 
それで、婦人科の先生が妻に帝王切開を勧めるのですが、
 
妻は「帝王切開は嫌だ!」と言って頑なに拒み続けます。
 
 
しかし、さすがに、母子共に体力的に限界に来ていました。
 
そして、赤ちゃんの心音(心臓の音)が弱くなり始めていました。
 
(´・_・`)
 
 
なので、婦人科の先生が、ボクに、
 
「赤ちゃんの心音が弱り始めているから、
 
帝王切開しないと赤ちゃんの命が危ない」
 
と伝えるために、ボクを手術室に呼び、
 
赤ちゃんの心音をボクに聞かせました。
 
 
「ドックン、ドックン、ドックン、、、」
 
 
 
       
わたし生きたい!  
 
 
その心臓の音を聞いた時、ボクは衝撃を受けました。
 
それは、ピストルで「バンッ!」と、
 
胸を打たれるような衝撃でした。
 
 
娘の声が、僕の胸に突き刺さりました。
 
「わたし生きたい!」 と…。
 
 
それは、声ならぬ声でした。      
 
 
 
 
  早く死にたかったボク    
 
 
それは、僕には信じられない言葉でした。
 
 
僕は、生きることに疲れていたのだと思います。
 
そして、潜在的に「早く死にたい」という気持ちを、
 
心の奥に抱えていたのだと思います。
 
 
だから、娘の「わたし生きたい!」という言葉は、
ボクには信じられない言葉でした。
 
 
「早く死にたい」という、ボクの常識とは、
 
まったく正反対の言葉だったからです。
 
 
そもそも、人間の中に「生きたい!」という情熱があるなんて、
 
ボクには信じられませんでした。
 
 
そんな衝撃を受けたボクは、
 
「これが、命(いのち)というものなのか?」
 
「これが、生命力というものなのか?」
 
と、 婦人科の先生の前で、自問自答していました。    
 
 
 
 
  わたし愛したい!      
 
 
さらに、それだけでは、ありませんでした。
 
 
「わたし生きたい!」という声と同時に聞こえてきたのが、
 
「わたし愛したい!」という声でした。
 
 
 
その声も、ボクに衝撃を与えました。
 
ボクの胸に突き刺さりました。
 
 
なぜなら「ワタシ生きたい!」と同じく、
 
ボクの常識と、全く正反対の声だったからです。
 
 
娘の声は、
 
「ワタシ【 愛されたい 】!」ではなく、
 
「ワタシ【 愛したい 】!」だったからです。
 
 
そんな経験がきっかけで、ボクは、少しずつ、
 
・子どもは、自分の身の危険を冒(おか)してでも親の自立を助けようとする。
 
・子どもは、親に感謝されることで、最高のシアワセを感じる。
 
という考え方を持つようになったのだと思います。
 
 
もちろん、娘の「わたし生きたい! わたし愛したい!」という声だけで、
 
ボクがそのような考えを持つようになったわけではありませんので、
 
次回、もう少し、続きを書いてみたいと思います。
 
 
いつも、長々、だらだらとすみません。
 
(^_^;)
 
もし、よかったら、次回も、お付き合いくださいね。  
 
 
 
もし、「 続きを読みたい!」って、思ってくださいましたら、  
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今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました!
 
あなたのお幸せを祈っております。

ヨガとは死ぬ練習

    ヨガの経典「ヨガスートラ」は、

   「ヨガとは心の止滅なり、心の働きが止まった時、本当の自分が現れる。」

   と私たちに語ります。

   つまり、ヨガとは   【   止滅する練習   】だと言えます。

   そして、【   止滅できると、幸せと豊かさが手に入る。】と、ボクは思っています。

   だから、あなたにも、【   止滅する練習   】をしてもらいたい。

   もう少し、簡単に表現するなら、

   あなたに、【   死ぬ練習   】をしてもらいたい。

   そして、幸せ・豊かさを手に入れてもらいたい。

   そう思っています。

 

 

 

 


 1. なぜ、死ぬ練習が必要なのか?

 

 

 


 2. 具体的に、死ぬ練習とは、どういう練習なのか? 

 

 

 


 3. なぜ、死ぬ練習をするとシアワセが手に入るのか? 

 

 

 


 4. なぜ、死ぬ練習をすると豊かさが手に入るのか?

 

 

 

 


 

 

「本当のあなたが見つかる奇跡の0次元カウンセリング」 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  なぜ、話すだけで、人は変わるのか?  

 

なぜ、話すだけで、人が変わるのかというと、

‪あなたの話す言葉に、あなたを変える力が宿っているからです。

つまり、あなたの言葉は、状況を変化させるパワーを持っているということです。

 

あなたの言葉とは、あなたのハート・あなたの魂が、この世に現れたものです。 ‪

‪あなたの言葉が、あなたを癒やし、あなたの問題を解決し、愛する力を与えます。‬

のぶさんは瞑想(0次元)状態でカウンセリングを行います。

なので、あなたが、のぶさんと話す時、あなたはあなたのハート(魂)と会話することになります。

 

 

もしかすると、あなたのハート・あなたの魂から出た言葉は、あなたにとって異質なものと、感じるかもしれません。

でも、あなたの言葉であるという事実に変わることはありません。

なので、あなたの言葉が、あなたを癒やし、あなたの問題を解決し、あなたに愛する力を与えます。

 

 


 

★カウンセリング メッセージ集★

カウンセリングについて

「本当のあなたが見つかる奇跡の0次元カウンセリング」
「なぜ、話すだけで人は変わるのか?」
「来談者中心療法とは?」
「観念書き換え療法とは?」
「家族トラウマ解消療法とは?」
「アファメーション療法」
「ビジネスカウンセリングとは?」
「無責任なカウンセリング

 

考え方・感情について

「ストレス(ネガティブな感情)とは?」
「陽転思考」
「思考は現実化する」
「観念の恐ろしさ」
「過去の感情を癒やす」
「価値観の違いに感謝する」

人間関係について

「愛されないから満たされないのではありません。」
「人間関係のマトリックス」
「あなたは無限の愛」

 

恋愛・夫婦生活・パートナーシップについて

「なぜ、この人と結婚したのでしょうか?」

 

自分自身について

「あなたの本質は愛です。」
「あなたはすでに」
「自己中?それとも自己犠牲?」
「自分以外の人になろうとしていませんか?」
「本当の自分が分からないあなたに。」
「自分が嫌いなあなたに。」

 

健康について

「拒食症と過食症」     

 

本当の自分が分からないあなたに。

 

本当の自分が分からないことは、とても素晴らしいことです。

本当の自分が分からないということは、すでに、あなたが、本当の自分を見つけられるということだからです。

本当のあなたは、あなたの既成概念や常識を超越しています。

本当のあなたは、とんでもなく、素晴らしいあなたです。

本当のあなたは、無限の愛と、唯一無二の個性・才能を持っています。

これから、そんなあなたに出会えるということが、すなわち、本当の自分が分からないということです。

だから、本当の自分が分からないことは、とても、素晴らしいことです。

 

 

 

 

僕は、「性悪説」という「観念」を持って生きてきました。

分かりやすく言うと、「人間なんて、所詮、自己中心的な生き物だ。」という「観念」を持って生きてきました。

つまり、人間は、結局、自分のことが一番かわいいし、いざとなったら、他人を犠牲にしてでも、他人を殺してでも、自分が生き残ろうとする。

それが、人間なのだ。

意識的にせよ、無意識的にせよ、ボクは、そんな「観念」を持って生きてきました。

そして、人間は、汚い。

人間は醜(みにく)い。

そう思っていました。

だから、そんな汚い自分、醜い自分を、否定することが、良いことだと思っていました。

僕は、自分を大切にすることは、悪いことだと思っていましたし、自分を優先することに、罪悪感を感じていました。

そして、常に、他人より、自分を大切にしてはならない。

何か、人様の役に立っていなければならない。

そう思うようになっていました。

そうしなければ、自分に価値はない。

人の役に立っていない自分は、生きていてはならない。と…。

そうして、結局、 病気になってしまいました。

そして、結果的に、家族のために、お金を稼ぐこともできない。

のみならず、治療費用で、さらに、家計を圧迫するという状況に追い込まれました。

その時、僕は「死にたい。」と思いました。

人様の役に立たない自分には、生きる意味もない。

人様の役に立たない自分に、価値はない。

だから、生きていることは、悪いこと。

だから、死ぬべきだ。 そう思いました。

そんな風に、「観念」は、人を死に追い込むほどに、恐ろしいものなのだと思うのです。