観念の恐ろしさ
僕は、「性悪説」という「観念」を持って生きてきました。
分かりやすく言うと、「人間なんて、所詮、自己中心的な生き物だ。」という「観念」を持って生きてきました。
つまり、人間は、結局、自分のことが一番かわいいし、いざとなったら、他人を犠牲にしてでも、他人を殺してでも、自分が生き残ろうとする。
それが、人間なのだ。
意識的にせよ、無意識的にせよ、ボクは、そんな「観念」を持って生きてきました
そして、人間は、汚い。
人間は醜(みにく)い。
そう思っていました。
だから、そんな汚い自分、醜い自分を、否定することが、良いことだと思っていました。
僕は、自分を大切にすることは、悪いことだと思っていましたし、自分を優先することに、罪悪感を感じていました。
そして、常に、他人より、自分を大切にしてはならない。
何か、人様の役に立っていなければならない。
そう思うようになっていました。
そうしなければ、自分に価値はない。
人の役に立っていない自分は、生きていてはならない。と…。
人様の役に立たない自分は、生きる意味も価値もない
そうして、結局、 病気になってしまいました。
そして、結果的に、家族のために、お金を稼ぐこともできない。
のみならず、治療費用で、さらに、家計を圧迫するという状況に追い込まれました。
その時、僕は「死にたい。」と思いました。
人様の役に立たない自分には、生きる意味もない。
人様の役に立たない自分に、価値はない。
だから、生きていることは、悪いこと。
だから、死ぬべきだ。 そう思いました。
そんな風に、「観念」は、人を死に追い込むほどに、恐ろしいものなのだと思うのです。