【小学時代】
ユリとは幼馴染(おさななじみ)で、小学一年の時、同じクラスになった。
その頃から僕とユリとは普通に仲が良かった。
お互い音楽が好きで小学4年の時、二人は音楽クラブに入った。
僕はパーカッション、ユリはオルガンや鍵盤ハーモニカの担当だった。
演奏を練習する傍ら、休憩時間や練習終了後に、僕はユリから音符の読みかたや、音楽記号の意味を教わった。
しかし、ある時から話が脱線するようになった。音楽の話から脱線した会話は、家族の話やテレビの話に始まり、お互いが持っているすべての情報をお互いが口にするようになった。
そして、その情報に伴う「好きだ」とか「嫌いだ」とかという感情や気持ちも、お互いに全て表現し、それをお互いに共有するようになっていた。
もちろん話の内容は、「私は、柴犬よりチワワが好き!」「えー、そおかなあ?柴犬のほうがかわいくねえ?オレは、柴犬のほうが好きだなあ。」みたいな、たわいのない内容だった。
が、なぜか僕とユリとは、その会話そのものを楽しみ、その楽しさゆえに時間を忘れるようになった。
僕とユリとは仲良くなることが運命づけられていたかのように、自然な流れで仲良くなった。
仲良しになるその流れには、何の抵抗もなかった。
真っ直ぐな川の流れのように。
静かだが大きな力で、まっすぐに流れる川の流れに乗るようにして、小学生の僕とユリとは自然に仲良くなった。
もちろん僕はユリが好きだったし、きっとユリも僕のことが好きだった。
けれど、小学生でありながら、なぜか、僕たちは恋愛を仲間はずれにしていた。
なぜだかは分からないが、恋愛を仲間はずれにしながら僕たちは仲良くしていた。きっと、お互いに「恋愛は、美しく綺麗なものではない。」と思っていたからだと思う。そして、たぶん「恋愛を仲間はずれにする」という暗黙のルールが、お互いに無理なことを要求したり甘えさせたりしない、仲人のような役割を担っていた。