男女の愛は裸の愛

男女の愛は裸の愛

男女の愛は…

男女の愛は裸の愛。

それは、許し、

それは、妥協、

れは、諦め。

パートナーに、

求めず、

期待せず、

仲良くなろうとしない。

それが、無条件の裸の愛…。

 

裸の愛

男女の愛は、裸の愛。

それは肉体の裸だけを意味するのではなく…

むしろ、もっと深い、魂と魂が向き合う「心の裸」…

 

本当の愛は

愛とは、許し、妥協、そして諦め…。

もしかしたら、「愛を得ることによって心が満たされる」と錯覚しているのかもしれません。

でも、本当の愛は、

何も求めない…

何も期待しない…

そして仲良くなろうとすらしない…。

 

無意識に愛されたいと思ってしまう

人は皆、無意識に「愛されたい」と思ってしまっている。

そこには、「このままの自分では愛されないのではないか」という深い不安があるのかもしれません。

だから人は、相手に期待し、相手を変えようとし、愛を「獲得」しようとしてしまう。

でも、それは本当の愛ではない。

それは取引、それは駆け引き、そして共依存…。

 

離れてもいい

真の愛とは、「この人がこのままでもよい」と思える心、

「変わらなくていい」と見守れる心、

「離れてもいい」と手放せる心である。

 

相手に対し、

何も求めない。

何も期待しない。

理解されようとしない。

仲良くなろうとすらしない。

そんな徹底した無条件の愛こそが裸の愛…。

 

求めない愛、与えない愛

仏教に「捨(しゃ)」という教えがあります。

すべてを捨てる。

感情を、執着を、期待を、そして「自分」という存在そのものを。

そうして初めて、人は真に自由になる。

愛もまた、そうなのかもしれません。

求めない愛、与えない愛、ただ共に在るだけの愛。

これこそが「裸の愛」なのかもしれません。

愛はすでにあなたの中に

愛は、すでにあなたの中にあります。

外に探しに行くものではない。

出逢いも別れも、すべてはご縁。

相手は変えるべき存在ではなく、共に鏡となって己を映す存在。

夫婦であれ、恋人であれ、互いに鏡である存在。

だから、ただ、共に在るだけでいいし、

ただ、今日もそこに居てくれることで感謝。

 

すべての洗脳を解き放て

私たちは、テレビを見たり、映画を見たり、本を読んだりしながら、

完全に洗脳され、愛を誤解し、

今、あなたの中に存在している愛を見失っているのかもしれません。

 

すべての洗脳を解き放ち、

心が裸になったとき、

そこに残るものは「あるがままを受け容れる」静かな愛なのかもしれません。

それこそが、裸の愛であり、無条件の愛なのかもしれません。