不倫は本気で人を好きになること
不倫や性依存のご相談をお聞きしていて、
ご自身で、それを「浮気」だと言われたかたはいませんでした。
つまり、遊び心・遊び半分で不倫している人はいない。
ーーー 本気で相手のことを好きになった ーーー
それが不倫や性依存症の現実のようです。
そして、人が人を好きになり、
心を寄せ、思いやり、恋い慕うことは、
人として、最も大切で尊く、心からの幸せをもたらすもの…。
でも、その一方で、不倫は人を裏切ることであり、
傷つけることであり、不幸に陥れることでもある。
そんな理性をも吹き飛ばしてしまうほどに、強い力を持つのが不倫・性依存。
「なぜ、そこまで、人を本気にさせてしまうのだろうか?」と、
よく考えさせられます。
社会的リスクを避けて生きる
私たちは、常に無意識のうちに、社会から否定されないように、批判されないように、差別されないように、バカにされないように生きています。
日常的に、絶え間なく…。
そうした「波風の立たない」生き方を選んでいるのが、私たちかもしれません。
それは、小さな魚が大きな海の中で安全な場所を探す、きわめて自然な防衛本能だとも言えます。
本当の自分を分かってもらえていない
でも、そうやって社会のルールに沿ってばかり生きていると、
「本当の自分を誰も知らない」
「本当の自分を分かってくれる人なんていない」
「本当の自分を見せたら嫌われるんだろうな」
など、
心の奥底に、何とも言えない寂しさや、心の中にぽっかり穴が空いたようなむなしさ(虚無感)が生じ、
漠然とした、もやもやとした「孤独感や空虚感」が、心の中に静かに鬱積していくのかもしれません。
不倫や性依存症の原因
そして、心の奥に沈殿した、何とも言えない寂しさ、何かが満たされていない感じが、
一定容量をオーバーした時、
突如、反対方向に突き動かされるうようになる。
つまり、
社会的なリスクを取りたくなってしまう。
それが、不倫や性依存症など、
様々な依存症状の原因になっているのかもしれません。
不倫や性依存症の原因
世間から
「あの人なにやってるの?」
「頭おかしいんじゃない?」
「バカじゃない?」
と言われるかもしれないし、後ろ指をさされるかもしれない。
そんな社会的なリスクを冒してでも、
「本当の自分」を
丸ごと受け入れてほしい、理解してほしい、認めてほしいと思うのは、
それが人間が持っている根本的な欲求だからのような気がしております。
つまり、自分の醜いところも、汚い心も、ダメなところも…
全部ひっくるめて、「それでも好きだよ」と思ってもらえる、
そんな強い願いを、人間は根本的に潜在的に抱いているのではないでしょうか…。
汚い自分もまるごと愛してもらいたい
つまり、なぜ、社会的なリスクを冒してまでも、
本気で人を好きになり、不倫したり、性依存に走ってしまったりしてしまうのか?
それは、
「自分の汚いところも含めてまるごと愛してもらいたい」という、
根源的・本質的欲求を人間が強く持っているから、
ではないでしょうか?