【新しい彼氏と幸せになってくれよな】
「ユリちゃ…?!」
僕の心臓が、また、止まった。
「ユリちゃん、ロトール辞めたって。
コトちゃんが…。」
「そんなこと、どうでもいいわ。ビールも頼む?」と無愛想なままユリが尋ねる。
僕は何も言葉が出てこず、ただ首を横に振り「ビールはいらない」と応えた。
「座っていい?」と、ユリが言う。
僕は、止まった心臓がどうにかなりそうだと思いながら、ただ頷き「いいよ。」と伝えた。
僕は何をして良いか分からず、パスタにフォークを指しクルクルっと回転させた。
そして、フォークに絡まったパスタを口に入れた。
味が分からない…。
すると、ユリが静かに口を開いた。
「おいしい?」
僕は、頷いた。
「コトちゃんに頼まれたの。
『ノリくんが来るからパスタ作ってあげて』って。
ついでにお説教もされちゃった。
『新しい彼氏のために、ちゃんと反省しなきゃならない』って。」
僕は「新しい彼氏」「お説教」という言葉を聴いて、パスタを吐き出しそうになったが必死でこらえ、それをゴクリと飲み込んだ。
「はあ…?」
僕は、開いた口がふさがらなくなった。そして僕の口から、次から次へと言葉が出てきた。
まるで、ペットボトルに詰め込まれ、上下左右にシェイクされたコカコーラが、キャップを開けた瞬間に、一気に外へ飛び出すように。
「ユリちゃんごめん。
オレ正直じゃなかった。
オレ、ホント素直じゃなかった。
ホントごめん。
オレ、ユリちゃんを信じなかった。
ユリちゃんを信じたくなかったんじゃない。
信じられなかった。
というより、オレ自分が信じられなかった。
オレ本当にダメな男だから。
仕事もできない。
稼げない。
家も買えない。
車も買えない。
海外旅行にも連れて行けない。
だからオレは、ユリちゃんに愛されるはずがない。
オレはユリちゃんに馬鹿にされる。
ユリちゃんに軽蔑される。
そう思った。
オレ、恥ずかしい思いをしたくなかった。
オレのプライドが許さなかった。
自分がユリちゃんに愛されない現実に直面するのが怖かった。
それだけじゃない。
オレは、ユリちゃんを独占しようとしてた。
自分でもわからないけど、ユリちゃんが他の男と話すのが耐えられなかった。
オレは嫉妬してしまう自分をコントロールできなかった。
ユリちゃんの幸せを願えない自分がいることにも気付いた。
こんな汚いオレはダメだ。
経済力がないだけじゃない。
オレは心も汚い。
だからユリちゃんと結婚すべきじゃない。
そう確信した。
とにかく、オレは正直じゃなかった。
オレにとっての一番の幸せは、ユリちゃんとの楽しい会話。
そして、一緒に音楽を楽しむことだった。
そして、このウィンナーペペロンチーノと缶ビールが一本あれば、それ以上の贅沢は必要なかった。
それだけあれば、オレは幸せだった。
それが、オレの正直な気持ちだった。
それなのに、オレはその気持ちをユリちゃんに伝えなかった。
ほんと、オレ正直じゃなかった。」
僕は、堰(せき)を切ったように、一気に話し切った。
そして、一口、コップに入っていた水を飲み、「オレ、それだけはユリちゃんに伝えたいと思った。ユリちゃん、新しい彼氏と幸せになってくれよな。」
と言い残して帰ろうと思った。
が、僕がその言葉を出す前にユリが声を出した。
「ノリくん、新しい彼氏になってくれない?
ノリくん、私と一緒に幸せにならない?
ノリくんと私は一つ。
私は、ダメダメなノリくんとじゃなきゃ、うまく生きていけない。
私、別に贅沢なんかしたくない。車も要らない。マイホームも要らない。
旅行に行きたいとも思わない。ノリくんの純粋さと優しさ以上に、私にとって価値あるものはない。本気で、そう思ってる。」
と言って、笑う。
僕は耳を疑った。
信じられなかった。
でも、確かに、ユリは言った。
「一緒に幸せにならない。」?
「私とノリくんは一つ。」?
「ダメダメなノリくんとじゃなきゃうまく生きていけない。」?
「どこかで聞いたセリフだな…。」と心の片隅で思いながらも、僕の目からは、涙が込みあがってきて止まらない。鼻水も止まらない。止まっていた心臓が、蒸気機関車の溶鉱炉のように激しく鼓動し始めた。
その時、ユリの後ろを一人のウェイトレスが通りかかった。
左手のお盆に、氷入りのアイスコーヒー。
右手に、卒業証書?
ニコニコというより、ニタニタした表情で、僕を見て笑っている。
おしまい
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