・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
《 前回までのあらすじ 》
(2人の子どもを持つ母親)花子は不倫してしまう。
結果、気持ちが不安定になり、家族関係も悪化。
路頭に迷った花子は、タピオカ入り豆乳ラテに惹かれて喫茶店「ロトール」に入り、そこでウェイトレスのコトハに出会う。
花子はコトハから「お話をお聞きします」「禁断の恋ゆえのお悩みかと…」と言われ、頭が真っ白になってしまう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
空白の5秒
コトハの「禁断の恋ゆえのお悩みかと…」という言葉で、花子の思考は停止し、頭が真っ白になり、周りの音が真空状態になった。
花子は、目の前にある肌色のラテを、ボーッと見つめている。
店内はエアコンが効いていて涼しい。
それなのに、ラテ入りのグラスは大粒の汗をかいている。
空白の時間は、たった5秒間だったが、花子にとっては、とても長い5秒間だった。
まるで、ウトウトと居眠りした時間がわずか5秒間だったのに、その時に見た夢が、怖い人から逃げ回ったり、高いところから落ちたりと、波瀾万丈なストーリーだったため、その5秒間がとても長く感じられた時と同じような長さだった。
そして、自分の中にいるもう1人の自分が自動運転するように言葉を発した。
「はい…。確かに…。そうなんですけど…。」と。
花子は、狐(キツネ)につままれたような気持ちになっている。
が、さらに、
「やっぱり、ダメですよね。不倫は…。」と言葉を続け、額(ひたい)を前側に傾(かたむ)けた。
コトハは、 「そうですねぇ〜〜〜。」と深いため息をついてから、こう続ける。
キライよりマシ?
「でも、人って、 快楽が必要ですしぃ〜〜。
そうじゃないと、欲求不満がたまっちゃいますしぃ〜。
セクシャルな刺激を求めることは、生まれながらの自然な欲求ですし…。
それに、人を好きになることって、人を嫌いになるより、よっぽどマシなことだと思いますし…。
子どもは、基本的に親の離婚を望んでいませんから、 子どもを傷つけないために、不倫を選択するというのもアリかもしれないですし…」と。
花子は、再び、妙な違和感を感じる。
コトハという目の前のウェイトレスは、不倫とは縁もゆかりもなさそうな、「私、高校生です」と言ってもおかしくない若い女の子だ。
そんな女の子には、「快楽」だとか「欲求不満」だとか「セクシャルな刺激」とか「離婚より不倫」などという言葉が、
全然、似合っていなかった。
例えるなら、どこかの小学生が「わたしね。コーヒー牛乳より、レギュラーコーヒーのほうが、苦味と酸味が利いていて好きなの」と言っているようなギャップがあった。
子どものお遊び
しかし、それが、なんだか可笑(おか)しく、滑稽(こっけい)に思えて、花子は少し笑ってしまった。
すると、気持ちが軽くなり、「不倫」という、重たく暗い罪悪感に満ちた言葉が、子どものお遊びのように小さい些細なことに思えた。
だから、花子も軽いジョークを交え、
「やだぁ〜。コトちゃん。
私、そんなにぃ〜。
なんて言うかさぁ〜。
快楽が欲しかったとかぁ、 欲求不満だったとかぁ〜。
そういうわけじゃなくてぇ〜。
欲求がないわけじゃないけど、そんなに欲求が強いほうじゃないって言うかぁ…。
不倫かもしれないけどぉ。
やっぱり、本気で愛してなきゃ、そういうことにもならないって言うかぁ。
今までに出会えなかった、本気の愛に出会ってしまったっていうかぁ…。」
と返す。
コトハは、
「ホント、そうですよねぇ〜。
やっぱり、愛ですよねぇ〜。」
と微笑んで、深くうなずく。
そして、尻切れトンボのように、再(ま)た、カウンターのほうへと消えていった。
トロイメライ
「あれ?コトちゃん、行っちゃった?」
花子の目の前には、大粒の汗をかいた豆乳ラテだけが残されている。
「ホント、不思議な子…」と思いながら、ラテにささっている、太いストローを右手の中指と親指で軽く挟み、ラテとタピオカを口の中に吸い込む。
紅茶の香ばしさが渋くて濃い。
タピオカが、氷のように冷たい。
「もしかして、このタピオカ、凍ってる?
だから、こんなにたくさん水滴がつくのかな?」
と推測しながら、ラテの上に添えられている、深いグリーンのペパーミントの葉っぱを、右手の中指と親指でそっと掴(つか)み、口に入れ、右の奥歯でかみしめた。
そして、大きく深く呼吸する。
「はぁ〜〜〜〜〜」
すると、清涼感漂う空気が、胸の奥深くに入った。
「ああ〜〜。
気持ちいぃ〜〜。」
その時、ピアノの演奏が、再び始まる。
「この曲は、確か、トロイメライ…。
作曲者は、確か…。
う〜ん?
誰だったっけ?」