目に見えるものを取りますか?
目に見えないものを取りますか?
前回、賢者の贈り物のお話を念頭に置いて、先ほどのような親子関係を見つめ直すと、
お悩み解決のきっかけが少し見えるかもしれません。
などと書かせていただいたのですが、
今回は「親子愛と賢者の贈り物」の第一回目
「目に見えるものを取りますか? 目に見えないものを取りますか?」です。
賢者の贈り物のお話で、
デラ(奥さん)は、自分の髪の毛を売って、旦那さんの時計の鎖を買い、
ジム(旦那さん)は、自分の時計を売って、奥さんの髪飾りを買い、
それぞれにプレゼントします。
しかし、プレゼントされた時のデラの髪は、短くカットされてしまっていたため、
旦那さんがプレゼントしてくれた髪飾りは役に立たないものとなってしまいました。
また、ジムは時計を売ってしまったので、デラがプレゼントした時計の鎖も役に立ちません。
つまり、お互いがプレゼントしたものは、物質的、つまり目に見える意味においては、あまり価値のないものになってしまいました。
けれど、二人がそんな役に立たないものを受け取ったとしても、シアワセを感じられたのは、
そのプレゼントに込められた目に見えない価値を感じたからということなのではないかと思います。
つまり、結果としての贈り物の物質的な価値ではなくて、
送ってくれた人の動機、
そして、そこに込められた愛情に価値や喜びを感じられたということかと思います。
親子関係も同じ
それと、同じように、親子関係でも、
親は「なんで進学校に進んでくれなかったの?」と思ってしまい、
子どもは「なんで勉強ばかり強要したの?」と思ってしまう。
という風に、
目に見える結果のことで不満や誤解が生じてしまった時に、
その原因とか、目に見えない根本的なものを認知することが大切なのかな?
と思ったりしております。
例えば、
「でも、子供は、親を喜ばせようとして、親を悲しませたくないと思って、
今まで頑張ってくれてたのよね」とか、
「でも、親は、私の幸せを願って、勉強を薦めてたんだよね」という風に…。
親の喜ぶ顔が見たい、親の悲しむ顔は見たくない
また実際、今までカウンセリングで、本音のお話をお聞かせいただいてきたのですが、
毒親と称されるような親から、酷(ひど)い仕打ちを受けたような人であったとしても、
心の一番奥深いところでは「親の喜ぶ顔が見たい、親の悲しむ顔は見たくない」
という気持ち(無条件の愛)を持っていらっしゃったということは、
頭の片隅にでも、知っておいていただけたらと思っております。
次回は、そんな子どもの無条件の愛などについて、
書かせていただきたく思っておりますので、
よろしかったら、また、お付き合いくださいね。