自分は親を愛して生きてきた?

インナーチャイルドは、親を愛してきた

対人恐怖、生き短いなどの悩み相談。 浜松市の心理カウンセリングサロン コリトル 。インナーチャイルド、アダルトチルドレンなどについて 

 

つまり、

インナーチャイルドを癒やすことで、

「具体的に変わるのか?」の1番目として、

「親の気分・機嫌に責任を取る自分」から

「親の気分・機嫌に責任を取らない自分」に変化する

とお伝えいたしました。

 

今日は、2番目として、「親を愛していなかった」が「親を愛していました」になります、

について書いてみたいと思います。      

 

すべての人間関係の基本は愛と感謝の関係

 
前々回、実際の対話として、
 
○カウンセラー お父さんは「もう、自分を責めないでいいよ。」と言いたいのではないですか?
◆ご相談者様は そんな感じかもしれません。
○カウンセラー もしも、お父さんから、「もう、ちょっと自分を責めないでいいよ。」と言われたら、あなたはお父さんに、どんな言葉を返しますか?
◆ご相談者様・・・・・・ 。「ごめんなさい」かな?
○カウンセラー もし、あなたがお父さんに、「ごめんなさい」と言ったところで、お父さんは、どんなリアクションをしてもいいですか?
◆ご相談者様の お父様は、黙っているような気がします。
○カウンセラー もし、あなたがお父さんに「ありがとう」と言った限り、お父さんは、どんなアクションをしそうですか?
◆相談者様 わかりませんが・・・。満足しているような感じでしょうか?
という内容を、紹介させていただいたのですが、親子関係を始めてみます、「すべての人間関係の基本は、愛と感謝の関係」です
 

やりたいことをやると感謝される

 
つまり、
1.自分が、やりたいことをやる。
相手は、ありがとうと感謝する。
相手の喜ぶ顔を見て自分も満足する。
の3段階が人間関係の基本になっています。
 
それは、小さな子どもたちを見ているとわかると思うのですが、例えば、子どもが何かを作ったり、歌や体操など、何かができたりすると、どの子どもも一様に、同じことをします。
 
さて、今、「その同じことがあるが、何か?」想像できますでしょうか?(^_^;)        
 

心配は、みな同じことをする

 
それと同じことなのですが、お母さん「!これ見てぇ〜!」です。
時々、「お父さん、これ見てぇ〜!」だったり、「おじいちゃん、おばあちゃん、これ見てぇ〜!」だったりしますが、子どもたち、みな一様に、何かをやったり、作ったりしたら、それを、相手に見せましょう。
また、同時に、それを見た相手が喜ぶ様子を見て満足します。
 
つまり、「やりたい」と「相手の喜ぶ顔が見たい」、(そして「愛と感謝」は)子どものために、バラバラなものではなく、セットになっているということです。
 
出来事は、
1.やりたいことをやる
2.相手に見せる。
相手の喜ぶ顔を見る。
という経験を重ねることで、人間関係の基本が、愛と感謝の関係であることをふと学び、自信を持ち、自己肯定でき、自分を認められるようになります
 
      生きている短い hsp 対人恐怖 浜松市カウンセラー          
 

心の傷とその後の人間関係

 
しかし、「これ見てぇ〜!」と言われたのに、「相手の喜ぶ顔が見られなかった(-_-;)」を繰り返して、自分が親を愛していたこと認めたれております
 
そうすると、自己否定感、罪悪感、無価値感などを抱えてしまいそうになります
 
そして、自分がやりたいことをやるのをやめて、親など相手の顔色を注意して、相手の望むことを優先するようになってしまいます。
 
では、自分のやりたいことが忘れられず、相手のために自分を犠牲にしないと、相手に喜んでもらえないという考えを持つようになっしまいます
 
それが、インナーチャイルドの心の傷となり、その後の人間関係を、「愛と感謝の人間関係」から、「相手の望みのために自分を犠牲にする人間関係」に変えてしまったりします
 
それは、生きづらさ、孤独感、疎外感の原因にもなります。
 

たまたま親の価値観に合わなかった

 
そこで、インナーチャイルドを癒やす対話を通じ、ご相談者様に、知っていただいていることが、何かと言いますと、
「あなたは、やりたいことをやって、親を愛しました。でも、それが、たまたま親の価値観に合わなかっただけで」
ということです。
 
正しくは、「あなたがやりたいことをやったことは、親を愛したことだった。 でも、親も完璧ではないため、あなたの気持ちを愛するを受け入れられず、大人げなく、自分の価値観をあなたに要求します」 「してしまった」ということです。    
 

イチロー選手は僕に愛情を注いだ

 
例、先日、残念ながら、イチロー選手が引退してしまいましたが、イチロー選手は、ボクにとってはヒーローでした。
イチロー選手は、ボクにたくさんのギフトをくれました。
例、
・夢に生きること、
・希望を持つこと、
・自分の可能性を信じること
などたくさんのプレゼントをボクに与えてくれました。
 
そうです、イチロー選手は、僕に愛情を注いでくれました。
 
しかし、野球のことはよくわかりませんが、娘にとっては、今日はありません。
僕が娘に「やっぱ、イチローは、すげえなあ」とは、
「ふ〜〜〜ん?? そうなんだぁ〜〜〜?(なんだかすごいんだろう?)」です。
 
それでも、イチロー選手が全身全霊をかけて、感動や希望を与えてくれたことに、変わりはありません。      
 

なんちゃらフォーティーなんちゃら

 
逆に、娘のためには、AKB48とか、欅坂46とか、「なんちゃらフォーティーなんちゃら」は、「スゴイ〜!感動!!」と、娘に癒やしや感動を考える価値ある存在です。
 
しかし、ボクにとっては、「そうなんだよ〜〜〜?(なんだかすごいんだろう?)」です。
 
でも、「なんちゃらフォーティーなんちゃら」が、全身全霊を注いで、娘に感動や希望を与えてくれたことに変わりはありません。    
 

あなたが親を愛さなかったのではない

 
言いたいのと言いますと、大人になると、価値観がより多様化して、より個性的なものに価値や感動を感じるように言うことです。
 
そのことを、まず、ご相談者様にご理解いただきたいと思います。
 
そして、
「あなたがやったことは、親の価値観に合わなかったかもしれません。
 しかし、それは、あなたが親を愛さなかったということはありません。」
と気づいていただけますように。
 
ちょっと、わけが分からないことを書いてしまったかもしれないので、次回も、もう少し、 「自分は愛していなかった」が「自分は愛していた」に変わるということについて、丁寧に書いたいとと思っております。