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《 前回までのあらすじ 》
花子は太郎と不倫してしまう。
そして、気持ちが不安定になり家族関係も悪化し、アルコールや安定剤に頼ることになる。
が、コトハに出会ったことがきっかけで、太郎への気持ちは消えた。
そして5年ぶりに、娘のサクラ、息子のハツオと共に、炊き出しのボランティアをする。
そこで、サクラは特盛りそうめんを作り、大柄のオトコにお替わりを持って行く。
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そう思っても良いと思います
オトコはエプロンの天使、つまりサクラに向かって言う。
「良いんですか…?本当に…?良いんですか…?食べちゃって…?
良いんですか…?ボクみたいなのが、生きていて…?だって迷惑じゃないですか…?働いてないし…。
ボクに食べる資格なんてないですよね…?仕事ができない人間に、生きる資格なんてないですよね…。
働かざる者、食うべからずですよね…?人の役に立たない人間なんて、死んだほうが良いですよね…?
生きてるだけで、迷惑ですよね…」
すると、サクラは、
「そうですね。そう思われるのも仕方ないですし、そう思われても良いと思います。ただ、もし、そう思われることと現実とが違うのであれば、『そう思うことと、現実とは違う』ということも、認めていただけたら…」
と静かに応える。
地球に降りてきた天からの使い
オトコには、サクラの言っている意味が理解できない。
日本語であることに間違いはないが、言っている意味がさっぱり分からない。
まさに、天から使(つか)いが降りてきたかのようだった。
もちろん、オトコは愚痴を肯定されたかった訳ではない。
つまり、この女の子なら愚痴をこぼしても、「そんなことないですよ!大丈夫ですよ!生きていてくださいね!」と、それを否定してくれることを、無意識に期待していた。
しかし、目の前の天使は、オトコの言葉を否定しなかった。
また、慰めもせず、励ましもしなかった。
地球人(ちきゅうじん)の感情が通じないのか、淡々と、「そう思われることは仕方ないし、そう思われても良い」と言った。
さらに、「もし、それが現実と違うなら、『そう思うことと、現実とは違う』と、認めていただけたら」と、意味不明な言葉を続けた。
サイクロン掃除機のように
オトコの頭の中は、一瞬、鳩(ハト)が豆鉄砲を食ったように真っ白になった。
が、その天使から、「よろしかったら、お早めにお召し上がりくださいね!伸びちゃいますので」と、今度は、容易に理解できる、日本語の言葉をかけられ、正気を取り戻した。
オトコは、「はっ、はいっ!いただきます!」と言い、そうめんの上に乗っている、ネギやショウガを軽く混ぜ、7本のそうめんを割り箸で掴む。
そして、サイクロン掃除機のように勢いよく、ズルズルッと口の中に吸引し、「うまいっす!」と言って笑う。
生命のパワー
「ホントですか!?」とサクラ。
「えぇ。うまいっす。やっぱ栄養のあるものって、良いっすね。
なんか、栄養が死んでないのが分かるっすよ。
食べ物が活きてるっていうのかなあ…ファーストフードの残りものとかはもらえるんで、ボクらも、なんとか、食ってはいけるんすよ。だから、そんなに空腹にはならないんっす。
でも、やっぱ、ファーストフードの残りものは、体に良くない感じなんすよね。
やっぱ、ゆでたてのそうめんとか、旬の野菜とかっていうのは、いのちが宿っているっていうか…生命(せいめい)のパワーが入ってるっていうか…体がその栄養を喜んで吸収するのが分かるんすよね。
なんて表現したら良いかわかんないっすけど、舌が『うまい!』って言ってるんじゃなくて、腹(はら)が『うまい!』って言ってる感じなんすよね」
と言って、今度は、10本の麺をズルズルッと勢いよく口の中に吸引した。
お姉ちゃんの言ってる意味わかんない
サクラは、笑って答える
「わぁ!良かった!そう言ってもらえて、嬉しいです!」と言ったあとに、また、「これが現実であることを、ちゃんと把握して認めてくださいね」と続ける。
オトコは、口の中でモグモグしながら、「すんません。おれ、馬鹿なんで。お姉ちゃんの言ってる意味、わかんないっすよ」と答えた。
サクラは、微笑みを絶やさずに応える。
「いいんです。わかんなくて。分かってもらいたいとも思ってないですし!
ただ、お兄さんも私も同じ人間。
そして、同じように、その日、その日を、必死に生きている。
私だって、明日どうなるか分からないし、いつ、死ぬかも分からない。
だから、同情とか、励ましとかはしたくないんです。もちろん、そんなことをする資格もないですしね!
もし、お兄さんがいなかったら
ただ、お兄さんは、おそうめんを美味しそうに食べてくれました。そして、『美味しい!』って言ってくださいました。
それが、私の喜びになったっていうことは事実なんです。
もし、お兄さんがいなかったら、私は、この喜びを味わえなかったんです。
つまり、お兄さんがいなかったら、私は、この幸せな気持ちを体験できなかったっていうことなんです。
その現実は現実として、認めてもらえたらっていうか…。
それと、さっき、列に並んでいらっしゃった時も、『ボクは、つゆだくが良いなあぁ〜』とかって言って、みなさんを笑わせてくださいましたよね。
きっと、お兄さんは、無意識にそうされたんだと思うんですけど…。
それでも、現実にお兄さんのおかげで、その場がとても和みました。
それまで心を閉ざしていた人も、心を開いて喋(しゃべ)られるようになりました。
お兄さんのおかげで、その場の会話が弾みました。そして、それは私にとって、とても嬉しいことでした。それは、紛れもない事実なんです。
事実は事実、現実は現実として
別にお世辞が言いたい訳じゃなくて…。
ただ、事実は事実、現実は現実なので、そのことは、事実として、現実として、認めていただけたらと思いまして…。
あっ、また、変な話をしちゃいましたねっ。
まだ、お替わりありますから、足りなかったら言ってくださいね!」
と言って振り返り、サクラはその場を離れた。
オトコは、そうめんを口いっぱいに含ませていたので、「ちょっと待ってください!」と言えず、ただ天使の後ろ姿を目で追いかけた。
赤茶色のコートを着た女性
その時、花子は、5年前と同じ場所に座っていた。
「そういえば、ここで、赤茶色のコートを着た女性に出会ったんだよなあ。
おにぎりと豚汁を両手で抱えて、私の近くに腰掛(こしか)けられた、とても痩せていた女性。
『美味しいですね』って笑って、涙をこぼされた。
でも、一緒に泣くことしかできなかった…。何の励ましもできなかった…。」
と思い出していた。
その時、誰かに声をかけられた。
「あのぉ〜。もしかして、あの時の?」
まさに、その女性だった。