罪を憎んで人を憎まず

罪を許さない

前回

夫婦での和する喜びとは、相手を理解し共感できた時の喜びであり、家庭とは、何度も何度もそれを繰り返し体験するところ。

そんな「共感し、距離が近づいて、融合して一つになる」「夫婦間での和する喜び」を体験するために必要不可欠なことが「許す」こと。

などと書かせていただきました。

許して良いこと、許さないほうが良いこと

とは言え、「許す」ってホント難しいですよね。

闇雲(やみくも)に何でもかんでも許せば良いのかというと、そうでもないですし…。

相手を許さず、責めて(攻めて)ばかりいても、つらくなってしまいますし…。

簡単に許すと、同じことが繰り返されて、再び傷つく結果になりかねませんし…。

 

なので、

「許して良いことと、許さないほうが良いこと」があるということ。

そして、

「許して良いことと、許さないほうが良いこと」の間に線を引くこと、

が大切なのではないかと思っております。

 

罪を憎んで人を憎まず

ちょっと、話が変わってしまいますが、

昭和時代のテレビ番組「遠山の金さん」とか「大岡越前」など、

時代劇の中に【罪を憎んで人を憎まず】というフレーズがあったかと思います。

(間違っていたら、ごめんなさい)

罪を憎んで人を憎まず

 

罪は許さず、人は許す

そんな「罪を憎んで人を憎まず」みたいな感じで、

【罪は許さず、人は許す】という基準で「許して良いことと、許さないほうが良いこと」を判断してみるのは、どうかなあ?

と思ったりしております。

もう少し、噛(か)み砕いて書かせていただきますと、人を裏切ったり、傷つけたりする「罪」は許すべきではない

けれど、(罪を犯してしまう)人間の弱さ、未熟さ、愚かさは「許す」べし、みたいな感じです。

許してはいけない

 

大人になっても弱くて未熟

やはり、人間、誰しも完璧ではありませんし、大人になっても、弱くて未熟。

それが人間ですから…。

もしかしたら、遠山の金さんを演じていた杉良太郎さんの「すきま風」という歌もそんな歌詞だったでしょうか?

と申しますか… もしかしたら、遠山の金さんも、杉良太郎さんも、ご存じないかもしれないですね。

とにかく、家庭では、パートナー(やご家族)の足りないところ、至らないところ、未熟なところなどを、できるだけ許してあげて、「和する喜び」を体験して頂けたらと思っております。

 

次回も、もうちょっと具体的に「許す」について書かせていただきたく思っておりますので、よろしかったら、お付き合いくださいね。

今日も、最後までありがとうございました。