シャドウと煩悩

シャドウと煩悩

ユング心理学と仏教哲学

煩悩とは

仏教における「煩悩」は

私たちの心を乱し、苦しみの原因となる根源的な欲望や執着のことです。

代表的なものに「貪(とん)=むさぼり」「瞋(じん)=怒り」「痴(ち)=無知」の三毒があります。

仏教の目的は、これら煩悩を“滅する”こと、

つまり苦しみの根源を取り除くことによって解脱るることと言えるのかもしれません。

 

シャドウは悪ではない

ユングの「シャドウ」は、それとは異なるアプローチ。

シャドウは“悪”なる欲望や執着ではない。

それは「抑圧された自分の一部」「否定された感情の残骸」

怒りや欲望がそのまま「シャドウ」になるわけではなく、

それらを自分の意識から切り離してしまうことで、

心の奥に「影」のような人格が隠される、

というのが、ユングの主張のような気がしております。

 

煩悩を認めることが人生の推進力に変わる

煩悩は、たとえるなら「人間に備わった火」であり、

仏教はその火を“消す(滅する)”ことで、苦からの解放を目指す。

対してシャドウは、

その火を“認める”ことで、むしろ人生の「推進力」に変えていく考え方。

つまり、ユング心理学では、怒りや嫉妬といった感情も、

それに正しく向き合えば、創造性や自己実現のエネルギーに変わる可能性を秘めていると…。

 

シャドウは「人間らしさそのもの」

たとえば、

自分の中の「攻撃性」に気づいたとき、

それを抑圧せず、正義や正直さとして表現する。

それが成熟した人格の在り方なのかもしれません。

そういう意味では、シャドウは「人間らしさそのもの」であり、

それを避けずに見つめ、取り込むことによって「ほんとうの自分」に近づけるのかもしれません。