やっと、少し、涼しくなりましたね。
金曜日の浜松の朝は、
雲ひとつない、快晴のお天気だっただけでなく、
涼しく爽やかに風が吹いて、
メチャクチャ気持ちがよかったです。
(^_^)
さて、前回までに、
1.好きなことをしてたら、食べていけないは、ウソ。
2.あなたは、すでに、好きなことで報酬を得ている。
3.「10円なら買ってもらえますか?」で、お金は入ってくる。
4.好きなことで食べていけるようになるためには、「損して徳を取るプロセス」が必要。
5.「損して徳取る」を続けていると、「好きにすること = 迷惑をかけること。」でなく、「好き勝手すること = 人を愛すること。」だと分かってくるし、 「お金を得る=苦労、自己犠牲」ではなく、「お金を得る=感謝されること。価値の提供。」であることが分かってくる。
6.好きなことを続けると、他の人ができないサービス(希少価値)を提供でき、食べていけるくらいのお金が入ってくる。
7.あなたは、世界に一つだけの色を、放つダイヤの原石です。」
などとお伝えしたのですが、
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なぜ、自分のダイヤに、
気づけないのか?
なぜ、自分のダイヤを、
磨けないのか?
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今日は、
「では、なぜ、多くの人が、
自分がダイヤの原石だと気づけないのか?
自分のダイヤに磨きをかけられないのか?」
について書いてみたいと思います。
いきなり、結論になってしまうのですが、
自分がダイヤの原石だと気づけない理由は、
「学校教育が、そうしているから」
のような気がしております。
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自分のダイヤに気づけない
理由は、学校教育?
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つまり、学校で、
あなたのダイヤが見つからないよう、
あなたのダイヤに磨きがかからないよう、
教育されているのではないか?
ということです。
もちろん、
学校教育のすべてを否定するつもりはありません。
最低限のマナーや、
言語力や計算力を身につけておくことは、
とても大切なことだと思います。
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学校教育に潜む、
「出世コースから外れると、
貧しく、惨めになる。」
という脅迫観念。
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しかし、学校教育の中で、
「試験で良い点数を取れば、良い大学に行ける。
そして、良い大学に行けると、高収入の職業に就ける。
すると、経済的に豊かで安心した暮らしができる。」
という観念が刷り込まれてしまうのだとしたら、
それが、
ダイヤの原石に気づかなくさせてしまう
原因になるように思います。
なぜなら、それは、
「テストで良い点数を取れないと、
貧しい惨めな暮らしを強いられることになるぞ!」
という脅迫観念でもあるからです。
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将来、貧しくなると思うと、
不安になり、怖くなる。
そして、それを避けたいと思う。
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そんなことを聞いてしまうと、
フツウ、怖くなってしまいます。
そして、
「貧しく惨めになったら、
どうしよう?」
と、心配をしてしまい、
不安になってしまいます。
すると、
(希望的なポジティブな動機ではなく、)
「貧しく惨めなんて、イヤだ!」というネガティブな動機で、
試験の点数稼ぎに走ってしまいます。
さらに、それは、
他の人より、良い点数を取らなければならないという、
【弱肉強食の競争心理】を、
子どもに、植え付けられることになってしまうので、
「点数競争に勝った人は、
経済的に豊かに暮らせるけれど、
点数競争に負けた人は、
貧しく惨めになる。
それが、社会の現実だ。
それが、世の中の実際だ。
世間は、なんて世知辛いんだろう。」
という世界観を、
子どもが、持つようになってしまいます。
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「世の中、世知辛い」という
世界観を持った人が集まると、
世知辛い世の中が、
現実に作り出される。
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そして、そういう考え方を持った人が集まると、
当然、そのような世知辛い世の中を、
現実に作り出してしまうことになります。
もう少し、分かりやすく言うと、
「オンリーワンになったって、
食べていけないよ。
結局、この世の中は、
人との競争に勝って、
ナンバーワンにならないと、
まともに食べていけない世界だよ。
つまり、人を蹴落とさないと、
豊かになれないのが、
この世界の現実だよ。」
という、絶望的な世界観を
持ってしまいます。
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実際の世界、
現実の世界、
とは違う
絶望的な世界観
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実際、
現実の世界は、
そうではないのに…。
(´・_・`)
ちょっと長くなってしまったので、
また、次回に続けますね。
今日も、最後までお付き合いくださり、ありがとうございます!
あなたのお幸せを祈っております。