自己受容できると心が楽になる…
けれど、自己受容はとても難しい。
なぜなら、感情が強く自己受容することに抵抗するから…
自分の良いところは良いところ、自分の悪いところは悪いところ、
自分の得意・不得意、自分の長所・短所、
それらの事実を、客観的にそのままにありのままに受け容れるだけ…
なのに、それがなぜか難しい。
そんな自己受容できない故に、生きづらくなってしまう。
そんなかたが多いような…

なぜ、「自己受容」が必要なのか
「自己受容」とは、自分を無理に好きになることではありません。
「自分は素晴らしい、自分には価値がある」と思い込もうとしたり、
自分の嫌なところを無視することでもなく…。
短所も、失敗も、隠したい自分の弱さも、容姿やキャリアへのコンプレックスも含め、
「今のリアルな自分」を、ただありのままに「そうなんだね」と認めること。
それが自己受容。
だから自分のことを「好き」になれなくても構わない。
ただ、「これが、今の私なんだな」と降伏するように受け入れること。

幼少期から抱えてきた「条件つきの愛」
私たちは子どもの頃、親や先生などの大人から認められ、愛されることで安心感を得ます。
その過程で、以下のような経験を多く重ねてしまうと、ある強い観念が心に刷り込まれてしまうようです。
「テストでいい点数を取ったときだけ、すごく褒められた」
「弱音を吐いたり、泣いたり、愚痴を言ったりすると、不機嫌になられた」など
すると心の中に、「何かを達成したり、良い子でいないと自分には価値がないのだ」という観念が心の中に植え付けられてしまいます。
そして、大人になっても、その観念は、無意識の心に刻まれて生き続ける。
そうすると、
「仕事で完璧な成果を出せない自分・理想のライフスタイルを送れていない自分に、価値はない。だから人から愛されるはずもない。」
という根深い恐怖心を、心のどこかに抱いてしまっているのかもしれまん。

頑張り屋さんほどハマる「完璧主義」
また、
仕事も、人間関係も、美容も、家事も、すべてを「ちゃんとしなきゃ」と思って、生きづらく鳴ってしまうケースも多いようです。
完璧主義は、責任感があって「頑張り屋さん」という長所でもあります。
でも、それも行き過ぎてしまうと、
「完璧でない、不完全な自分を見られたくない」という強い恐怖心の裏返しになってしまったりします。
ひとつの小さなミスをしただけで「あぁ、もうダメだ」と自分を全否定してしまったり、
少しでも思い通りにいかないと自分を激しく責め立ててしまったり…。

罠④ 「自分を責めること=正しいこと」という文化
私たちが育ってきた日本の社会には、「謙遜」や「反省」を美徳とする文化があります。
「私なんてまだまだです」と自分を低く見積もったり、「もっと頑張らなければ」と自分にムチを打ち続けたりすることが、真面目で誠実な大人の証拠であるかのように…
そのため、自分を認めることや、今の自分に満足することを「甘え」や「傲慢」だと感じてしまう方も少なくありません。
しかし、自分を厳しく批判し続けることと、前向きに成長しようとすることは、全くの別物…。
むしろ、自分を責めすぎると心のエネルギーが枯渇してしまい、一歩も動けなくなってしまう…。
そんな燃え尽きてしまっているかたが少なくないのが、今の日本社会なのかもしれません。

