親子のトラウマ,インナーチャイルド, アダルトチルドレン, 共依存,悩み相談
こんにちは! いつもありがとうございます。
前回までに、
・「自立」できないと奴隷のようになる。
・つまり不自由になる。
・でも「自立」は簡単じゃない。
・「自立」が難しい理由は、 【安心・安全】を手放すのが難しいから。
・例えば、お父さんとお母さんが「お寿司大好き」なら 「私もお寿司大好き!」と言えば【安心安全】。
・だけど、もし「自立」して「私はお寿司キライ!」と言ってしまうと 【安心安全】を失う。
・そして、家に入れてもらえなくなったり、 暗い部屋に閉じ込められたり、木に縛り付けられたり…(?)
・でも、それくらいのリスクを経験しないと「自立」できない。
などとお伝えいたしました。
自立する = 悪い子になること?
こんな話をすると、
「自立するって言うことは、『親の言うことを聞かない、 自分勝手な悪い子になる』 っていうことですか?」
と質問されることがあります。
親孝行で良い子
確かに、「お姉ちゃんなんだから!」「長男なんだから!」「恥ずかしいから!」
「人に笑われるから!」「馬鹿にされるから!」などと親から言われ、
親を怒らせないために、親を悲しませないために、「○○でなきゃいけない」「○○であるべき」と自分を制限し、抑圧し、
コントロールすることができる子どもは、親孝行で、道徳的で、お行儀の良い、模範的な「良い子」なのかもしれません。
もし、そうなら、それに反する子ども、つまり「私はお寿司キライ!」と言う子は、「悪い子」になってしまうのかもしれません。
良い子 = シアワセな子?
でも、親を怒らせないために、親を悲しませないために、
「○○でなきゃいけない」「○○であるべき」と自分をコントロールしている子どもが、
「シアワセそう!」でしょうか? また「楽しそう!」でしょうか?
つまり、「○○であるべき」を優先し、好きなことをやらず、やりたいこともやらずにいる子どもが、
屈託のない笑顔を見せて笑っていそうでしょうか?
ボクには、あまりそういうイメージが湧かないのです。
親が子どもに依存する?
実は、親が、「恥ずかしいから!」「笑われるから!」「馬鹿にされるから!」などと、子どもに言う時、
「親自身が、恥ずかしい思いをしたくないから」
「親自身が、笑われたくないから」
「親自身が、馬鹿にされたくないから」
そのように言ってしまうケースが少なくありません。
つまり、親の心理として、
「子どもが恥ずかしい思いをする」=「自分(親)が恥ずかしい思いをする」
「子どもが笑われる」=「自分(親)が笑われる」
「子どもが馬鹿にされる」=「自分(親)が馬鹿にされる」
から、
子どもに「○○でなきゃいけない」「○○であるべき」と、言ってしまうということです。
共依存
このような状態を、心理用語で「共依存」などと表現するのですが、「子どもが笑われること=自分が笑われること」
という風に、親が、子どもに依存してしまうと、子どもに「親に依存すること」を期待・要求してしまいます。
つまり、子どもが「自立しないこと」を、《無意識に》期待・要求してしまう。
なので「共依存」と表現します。
そして、もし、「自立できない = 幸せになれない」のだとしたら、親が、子どもに依存することは、 『《無意識に》子どもがシアワセにならないことを期待・要求する』ことになってしまいます。
親が、子どもがシアワセにならないことを 期待・要求してしまう?
ちょっと極端な表現になってしまったかもしれませんが、
もちろん《無意識に》なので、親が《意識的に》子どもがシアワセにならないことを期待・要求するということではありません。
子どもは親の自立をサポートしたい
話をはじめに戻しますと、
「自立するって言うことは、『親の言うことを聞かない、わがままで自分勝手な悪い子になる』ということですか?」
という質問を受けることがあるのですが、
そんな質問に対して、ボクは、
「いいえ。そうではなくて、子どもが自立すると言うことは、 同時に、親の自立をサポートすることです。
なぜなら、子どもは、シアワセのためには自立が必要であることを 知っているし、 子ども自身が、まず自立することが、
親の自立をサポートすることになると、 無意識的に知っているからです。」
という感じでお答えしています。
少し論理が飛躍していますでしょうか?
次回、もう少し、丁寧に書いてみたいと思いますので、よろしければ、また、お付き合いくださいね。